ドイツにおける指導者の移籍や1年の流れと活動

2020年4月28日

現在も新型ウイルスの影響でサッカーは自粛中ではありますが、現場ではただ待っている訳ではなく、ひとつひとつできる事が行われています。

今回の件に関しては、ドイツ全体での国の決定、州(ヘッセン州)の決定、サッカーにおいてもドイツサッカー協会の決定、州協会(ヘッセンサッカー協会)の決定には従うしかなく、私たち現場レベルでは決定権はなく、協力し進んでいくのみです。

私たちができることはクラブ単位での判断になりますが、現在はグランドも使用禁止中ですので、トレーニングも行っていません。日本ではオンラインでのトレーニングなどもたくさん行われているのを耳にしますが、私のチームでは行われていません。

 

ドイツにおける指導者の現状

今回はドイツにおける指導者の活動(育成年代)について紹介したいと思います。

まず第一に育成年代の指導者を本職としている人はブンデスリーガでもチャンピオンズリーグに出場するクラブくらいかと思います。他のブンデスリーガクラブの育成チームでは本職どころか驚くほどに少ない額で活動している指導者もいます。街クラブにおいては育成年代のみでなく、クラブ全体を通じて本職にしている人はほどんどいないでしょう。ほぼ全員が他にメインの仕事があり、時間を作りサッカーの活動に関わっているのがドイツの現状です。

ですので、監督と言えど、1シーズンに1〜2回くらいは長期の休み(2〜3週間程度)を取り、家族と過ごしたり、海外へ旅行へ行ったりしています。ちなみに私のチームの監督兼ユースダイレクターはサッカー中止が発表された直後に東南アジアの方へ飛び、今を過ごしています。

 

街クラブの組織

ここでは街クラブの組織(サッカー部門に限り)について少し紹介します。

クラブの大きさにもよりますが、まず役員(長と副)がいて、運営が数名います。この運営には、クラブの全体の運営であったり、クラブスケジュールの管理、チームや監督、選手の登録関係、ホームページ、審判の手配、グランド管理、営業やスポンサー関係等の役割があります。

現場レベルでは、スポーツダイレクターをトップに育成ではユースダイレクター、監督、コーチがいます。

もちろんクラブが大きければもっと細分化されますし、小さければ掛け持ちとなります。

 

指導者の移籍と1年の流れと活動

私の現在の立ち位置はコーチです。

今シーズンからこのクラブに入りましたが、クラブに入る前から現在の流れまでを紹介します。作シーズンは日本へ帰国していた時期があるので、クラブは無所属の状態でした。

 

このクラブの話が進んだのは、だいたい19年3月のことです。アイントラハト・フランクフルトのアカデミーチームの練習を見学していたところ、保護者の一人に話しかけられ、このクラブを紹介してもらいました。

4月中ユースダイレクターと話をして、クラブ加入が決まりました。この時にはどのカテゴリー誰とやるか。手当てはどれくらいかなどを話しします。

5月からは少しづつチームに顔を出し、監督とともに19/20シーズンに向けての準備が始まりました。監督とは面識があった訳ではないので、お互いの練習がどのように行われるかと19/20シーズンのチーム構成の決定が主なテーマでした。ドイツでは監督とコーチがセットで動くことも多く、気の知れた仲ではこの作業はなく、すぐにチーム構成に話が進むと思います。

6月は18/19シーズンも全ての公式戦が終了し、翌シーズンに向けての練習へと切り替わりました。

6月末から7月中旬までは休み。この時期に長期休暇で海外旅行へ出かける人が多いです。

7月末から新しいシーズンがスタートし、平日3回の練習と週末の練習試合が行われ、8月中旬に開幕するリーグに向けてチーム作りが行われます。この時期には街クラブ主催の大会も行われるので、たまに1日を通した大会へ参加することもあります。

新しいシーズンが始まってから11月末の前期終了までは、週に3回の練習と週末に公式戦、公式戦がないときは練習試合、もしくは休みという流れで進んでいきます。

前期の公式戦が終了してからは、街クラブ主催の室内の大会が多く開催されるので、クリスマス前の12月中旬くらいまで練習が行われ、室内の大会へと参加します。

12月下旬からクリスマス休みになり、チームによっては1月早々から練習が再開されます。私たちは監督も海外へ行き、私も日本へ一時帰国していたので、私が戻る1月中旬から練習が再開されました。

2月末に再開される公式戦に向けて、1月中は室内の大会、2月は室内の大会や練習試合などが行われます。恐らく、この頃にはクラブに重要なポジションから翌シーズンに向けてポジションと役割が決定し始めています。監督ともチラッと翌シーズンについてどう考えているか世間話程度で聞かれた記憶があります。

3月中には監督と翌シーズンについて話をしました。この時は翌シーズンの構成の話で、現在指導しているU15はU13の監督とコーチが引き継ぎ、現監督はチームを去るとうのことでした。クラブに残る場合は、そのコーチたちを3人体制で行うか、違うチーム(同じクラブ内の違うチーム)へ行くかという選択肢でした。

4月中にユースダイレクター兼監督からクラブに残るか正式に答えが欲しいと言われ、クラブに残ることを考えていると返答しました。今後はどのチームでどの役割か、手当てはどれくらいかなど細かい話をして、お互いにOKであれば、翌シーズンの活動が決定します。ここで、条件が合わなければ、他のクラブを探すことになります。

 

 

今回は私の経験の紹介になりますので、クラブの規模やチームのレベル、また成人のチームなどでは異なる部分もあるかと思います。

チームを決定するに当たっては、指導者個人の条件(指導したいレベルやチーム、練習頻度や手当てなど)とクラブの条件(指導レベルとチームの目標、目的に適しているか、コーチの場合には監督が誰と指導をしたいか、手当てがどれくらいかなど)が合わなければ決定することはありません。

日本と大きく異なるのは、家族や個人の本業を犠牲にしてまで指導に関わる人は少ない印象です。子供が生まれたから1〜2年くらいは現場を離れる。学業が忙しいのでそっちに専念するために少し現場を離れる。指導したいチームやレベルではないので少し現場を離れる。(もしくはクラブを変える)などは良くある話です。

また、結果を残せば引き抜かれることがあるのは選手のみでなく、指導者も同様です。

 

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