前回に引き続き、ドイツ生活の振り返り第2弾:2年目について書かせていただきます。
2年目となる2015年は、4月までワーキングホリデービザで滞在し、4月からは語学学校に通い、語学ビザ(大学準備ビザ!?)で滞在していました。インプットの2014年から徐々に指導者として動き出した年でもありました。
まずは生活について
ケルン市内で引っ越しをして、新たな生活となりました。上記の通り、語学学校ビザ(大学準備ビザ!?)での滞在でのすで、語学学校(Fremdsprachform : FSF)でドイツ語の勉強が始まりました。週に4~5日、午前中のクラスで A2 というレベルからスタートしました。このクラスは初級後半クラスにあたります。
市内で安い語学学校を探し、月々の授業料は一括で支払えば、
当時は、200€:¥26,000(年間:2400€:¥312,000)※1€:¥130で計算 でした。
この語学学校での出会いは大きく、今でも繋がっています。
ドイツでの外国人向けのドイツ語の評価は大きく6段階に分かれていて、A1. A2.(初心者)、B1.B2.(中級者)、C1.C2.(上級者)となっています。
生活は1番厳しい1年だったかと思います。貯金を切り崩し、収入は日本料理屋でのアルバイトとサッカーの指導で少し(交通費程度)。。。授業料の支払いなどもあったので、金銭面では大きくマイナスになった年でした。
しかし、
賄いで日本食を食べられること、サッカーの指導が始まったこと、語学学校などでの出会いで友人との時間が出来たことが金銭面では厳しかったですが、気持ち的には充実していた1年でした。
注意;都市、ビザの申請の仕方、担当によっては、語学学校ビザではアルバイトは不可能な場合があります。
→ 恐らく役所側の意見、ビザ申請時の状況的には、、、語学を勉強するために滞在許可を出しているので、語学を勉強してください。ビザ申請時に年間の生活費を証明が必要ですので、アルバイトをしなくても生活が出来るはず。などが考えられます。
私の場合;ワーキングホリデービザでアルバイトをしていて、そのまま継続してアルバイト代を生活費の一部に当てる。午前中に語学学校へ行くので、アルバイトの時間と重なることはない。今後は大学入学のための語学テストを受ける(大学準備ビザにあたる!?)などと説明した記憶があります。
注意;申請時の発言などは確かな記憶でなく、情報としては異なる可能性がありますので、ご注意ください。
サッカーについて
2015年は、2014/2015シーズンの後半、2015/2016シーズンの前半に当たります。
昨年アマチュア選手として所属していた6部のチームからケルン市内の9部のチームへと移籍しました。このクラブはケルン市内でも規模・人数的に大きなクラブで日本人の友人の紹介で入ることができました。入った目的としては、育成にもチカラを入れているクラブでチーム数も多いので、ドイツ語がままならない私でも指導のチャンスがあることです。
チーム名は: FC Rheinsüd Köln 2010(FCラインズード・ケルン 2010)
このあと約2年強にわたりこのクラブで指導にあたることになるのですが、ほんとに感謝しかありません。このクラブのお陰で指導者としてドイツでスタートが切れましたし、経験、ライセンスなどにおいても大きく助けてもらいました。
2014/2015シーズンの後半;
1月からアマチュア選手としてプレーし、指導者であり、サッカーの指導をしたいことをクラブに伝えましたが、すでに各チームとも活動していたので、受け入れてもらえるチームを探すのに時間がかかりました。実際は4月から当時のD1:U13;2002年生まれに関わらせてもらいました。
2015/2016シーズンの前半;
写真はこのシーズンの写真で、チームメイトが監督をしてる学年でコーチの空きがある。ということで、当時のE1:U11:2005年生まれにアシスタントコーチとして指導の機会をもらいました。
指導と言っても、語学がままならず、子供たちを納得させる力もなく、多くの時間は外からの声掛けや一緒にプレーして伝える。という時間でした。しかし、毎回関われることで、子供たちの性格や特徴、コーチの接し方、公式戦の雰囲気、更衣室での話、シーズン通しての練習の流れなど多くのことを学ぶことができました。
言葉の占める割合、与える影響は大きく、論理的に説明しないとなかなか納得してくれません。それぞれが意見があり、聞くより、しゃべるチカラが大きいです。日本でも小さい子供たちは見てっ!!聞いてっ!!というのは普通ですが、ドイツの方が主張が強い印象でした。
サッカーでは日本よりはパスの練習、個人のみでの練習ではなく、誰かと一緒に行うメニューが多かった印象があります(1対1の時間を除き)。
※当時のこのチームでの印象と内容になります。
まとめ
ケルンで知り合った日本人の友人の存在、ケルンでのお酒(ケルシュ)とバーベキュー(グリレン)のチカラによって乗り切った1年だったと思います。指導内容はともかく、コーチとしてチームに所属して関われたので、指導者としてスタートをきれた年でした。