今回はドイツ生活3年目の2016年について振り返りたいと思います。
1年目;ワーキングホリデービザ
2年目;語学学校ビザ(大学準備ビザ!?)
で滞在し、3年目も語学学校ビザ(大学準備ビザ!?)での滞在でした。ケルンでサッカー、スポーツ関係(ケルン体育大学入学目的)の多く人の流れは、
- 一般の語学学校へ通う
- B1のテストまで受け一定の点数を取る(語学コースへ入るための条件)
- ケルン体育大学の語学コースへ入る
- 大学入学のための語学テストを受ける(DSH,TestDaFなど)
- + スポーツテストを受ける(日本で体育系の大学に通っていなかった人など)
- 正規学生として入学
となるわけですが、私は日本で高卒扱い(高校卒業後は専門学校へ通っていた)のため上記の流れでは大学入学の資格がありませんでした。
私がドイツで大学に通う場合は、Studienkollegという学校へ通いFeststellungsprüfungというテストを受けなければいけない。という説明を受けました。調べてみると私学では授業料も高く、国立はケルン周辺にはありませんでした。さらに期間も約1年くらいかかるとのこと。。。。。(この学校と試験については実際に受けていないので詳しく知らず、長くなりそうなので、割愛させていただきます。)
※ケルン体育大学で直接話を聞きました。入学するためには。入学条件は。何をすれば良いかなど。
※その他の方法は、日本で大学生を1年していることや、センター試験で一定点数の成績を収める。などがあります。(※ケルンで知り合った友人の場合。)
ということで、私はそのまま私学の語学学校へ通い、大学入学のための語学テストを受ける(実際は受けていません)。ということでビザを発行してもらいましたが、大学の語学コースとは違い、一回で1年のビザをもらえたわけではありません。
信用度の問題と実際にその学校、語学コースへ通う期間により、
ビザを発行してもらった期間は、私の場合は、3ヵ月(4~6月)→ 3ヵ月(7~9月)→ 4ヶ月(10~翌1月)だったと思います。
毎回、語学学校での証明書を持っていき、状況を説明していました。外国人局もかなり疑っていたと思います。
ビザ(滞在許可)については以上な流れで乗り切りました。
生活について
上記の通り、語学学校へ通い、語学テストを受けるということでビザを発行してもらっていましたが、語学テストに落ちた場合、実際には受かっても直接大学ではなく、大学入学資格を受けるための学校への入学であったため、語学学校へ真面目に通っていたわけではなく、次のビザをどうするか考え、いろいろと調べていました。
日本料理屋でアルバイトをして生計を立てながら、就労ビザ(日本料理屋、日経企業、ドイツの企業、、、)、フリーランスビザ、その他の学校へ通うなど考え、選択としてはフリーランスビザ取得のために動き、準備をしていました。
サッカーについて
2016年は、2015/2016シーズンの後半、2016/2017シーズンの前半にあたります。
2015/2016シーズンの後半;
指導者としては、FC Rheinsüd Köln 2010 のE1(U11);2005年生まれでアシスタントコーチとして継続、指導としては、監督が考えた同じメニューの半分のグループを任されたりと少しづつ指導者っぽくはなってきましたが、我慢、勉強のシーズンでした。
アマチュア選手として所属していたチームでリーグ優勝!! 9部から8部への昇格を果たしました。下部リーグでも優勝、昇格は盛り上がります。
2016/2017シーズンの前半;
指導者として新しいシーズンは、同じクラブ、同じ年代の2軍へと移りました。2015/2016シーズンにいたチームには監督はそのままで新しいコーチ(実際は2人監督体制)でいくことになり場所がなくなりました。
アマチュア選手としてプレーしていたチーム(同クラブ、成人チームの2軍)の監督が指導しているチームで声をかけてもらい、D5(U12;2軍):2005年生まれのアシスタントコーチとして指導の機会をもらいました。
このチームでは、アシスタントコーチとして、指導者として活動できたなと実感できるシーズンでした。監督は、成人チームでの私の監督であり、指導者仲間であり、友人であり、兄貴的な感じで、ドイツでもっとも世話になった(世話になっている)存在です。
監督からも練習を任されたり、何かをしたいと言えばやらせらもらい、私1人で練習を任されることもありました。
1人で行った練習は散々な結果に終わりました。ハッキリ言って練習にならず、紅白戦に移行。しかし、紅白戦も砂遊びなどでまともに進まず、話をしましたが、解決できず、これはサッカーではないということで早々に練習を切り上げることしかできませんでした。これは単純に私のチカラ不足、語学力不足が原因でしたので、監督に謝罪(練習の報告も兼ね)、保護者には説明のメールを送りました。
次の練習で待っていたのは、お仕置きの時間でした。走りと走り。筋トレと走り。ドイツでもやるんだ。と思いました。(このチームでは後にも先にもこの1回でしたが。)しかし、練習開始時に前回を振り返り、子供たちからも話を聞き、事実を確かめた上でのお仕置きの時間で、ただ厳しくするのではなく、学びの時間と感じました。観ていた保護者にも説明、談笑しながら、たまには冗談も言い、子供たちも文句を言いながら、頑張っていました。
保護者からは子供だから。気を落とさないで。などと言ってもらい救われました。
アマチュア選手としては、8部へと昇格しましたが、監督の誘いもあり、同じケルン市内の7部のチーム(DSK Köln)へと移籍しました。このクラブでは、成人チームでアップ、フィットネスなどに関わり、子供たちにもフィジカルトレーニングなどを行い、アスレティックトレーナーとしての活動もさせてもらいました。
ライセンス取得の第1歩:ドイツサッカー協会公認C級ライセンス
この年の大きな1歩は、ライセンス取得でした。ドイツへ来て、3年目でやっとライセンスの1歩を踏み出しました。情報は監督からもらい、申し込み。費用(約150ユーロ:¥19,500;1ユーロ、¥130計算)はクラブが負担してくれました。
※詳しくはライセンス取得編で書かせていただきます。
講義と実技を重ね、試験。無事にドイツサッカー協会公認の指導者になることが出来ました。
まとめ
語学も徐々に理解できることが増えてきてやっとスタートを切れた年かなと思います。それぞれの目標、目的への進み具合はバラバラですが、このクラブを紹介してくれた友人も3年目からやっと楽しくなってきた。と言っていました。いろいろ経験できた実感もあり、ライセンスも取得し、充実した1年でありながら、まだ薄っぺらいところしか知らないので、深く学び、指導者としてもクラブやチームに貢献していきたいと思った年でした。